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事件名:地下鉄サリン事件検証

source: http://web.archive.org/web/19990420023552/http://aum-internet.org:80/aum6/nazo/sarin/1.html



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 一連のオウム事件の中で、その特異性において圧倒的な際立ちを見せる地下鉄サリン事件。千年紀末の日本で起こった、この世界史的な事件が抱え込む闇は、しかし今なお、深い。
 今回の投稿者は、現在進行中の刑事裁判の中でもおそらく未検証の“地下鉄サリンの闇”に迫る。事件発生直後、地下鉄車内に立ち上ったという謎の“白煙”の彼方に隠蔽されたものは何か?
 無常にも移ろいゆく時の流れの中で、わたしたちが“事実そのもの”に肉薄し、それをあるがままに手に入れることの宿命的な困難さを、この投稿は示しているといえるだろう。



事件名:地下鉄サリン事件検証
投稿者名:南部洋三


「二車両で不審物から白煙が出ている」
「被害が出た五本の電車のうち、北千住発の日比谷線では急激にサリンが発生したことを示す白煙が車内に充満、五本の中で最も被害が大きかった。」
(共同通信、95.03.27)

「日比谷線車内では午前八時過ぎ、中目黒発東武動物公園行きの電車が六本木駅を過ぎたあたりで、先頭車内で突然、白い煙が噴き上がるとともに、激しい異臭が立ち込めたという。」
(毎日新聞、95.03.20)

 「サリンから白い煙が噴き出た? そんな話、聞いたことないぞ。」と驚いてしまう。だが、そういえば、事故直後の地下鉄日比谷線では、「築地で爆発事故があった」という内容の車内放送があった。
 
「電車は『爆発物があります』というアナウンスがあって、そこで停まったんです。」
「『築地駅で発煙筒か何かの騒ぎがあったので、この電車は回送になる。降りてくれ』という内容の放送でした。」
「八丁堀の次の築地駅で爆発事故があったという内容でした。」
「車内放送で『築地で爆発事故があって、しばらく停まります』というものでした。」

(以上、被害者の証言~村上春樹『アンダーグラウンド』より)

 
 もし、白い煙が車内に立ち込め、人がバタバタ倒れているとしたら、何かの爆発が起きた、と考えても不思議ではない。この白い煙はどうして発生したのであろうか。サリンが袋から漏れて外気に接触した時、化学変化を起こしたのだろうか。そんな馬鹿な話はあるまい。そうすると犯人がその場でサリンを合成した時に発生したと考えるしかあるまい。
 
「地下鉄サリン殺傷事件で犯行に使われた不審物は、別々の袋に詰めたサリン一歩手前の物質アルコールの一種車内で反応させてサリンを作る“二液混合方式”だった可能性の強いことが、27日までの警視庁築地署捜査本部の調べで分かった。
 捜査本部は、犯人が新聞紙に包んだ袋に何らかの方法で穴を開け、二種類の薬物を流出させて混合、サリン発生前に逃走した疑いがあるとみて目撃情報などから容疑者の割り出しを急いでいる。
 長野県松本市のサリン事件では、容器は見つかっていないが、白煙が上がるなど、現場でサリンが発生した形跡があり、捜査当局は同じ方法だった可能性が強いとみている。
 …さらに(1)サリンと一緒に、サリン合成時に副生成物として生じる『メチルホスホン酸ジイソプロピル』が検出された(2)二車両で不審物から白煙が出ている(3)被害が出るまでの時間やサリン発生の規模が各現場で異なっている―などの状況が、二つの液体を混ぜてサリンを発生させた際の特徴と一致しているとみている。」

(共同通信、95.3.27)

 
 この白い煙は事件が起きた五本の電車のうち、二本の電車だけに発生したらしい。北千住駅発日比谷線中目黒駅発日比谷線の二本である。なぜ、日比谷線だけなのかよく理解できないが、日比谷線には他にも丸の内線や千代田線と異なった点がある。
 まず、北千住駅発日比谷線だが、事件直後の新聞報道では、
 
午前7時43分に北千住駅を出発して、午前7時58分に小伝場町駅に到着し、午前8時6分に築地駅に到着した時、非常ブザーが鳴って乗客が助けを求めた。前から三両目で異物が見つかった」
 
とある。ところが、裁判では
午前7時46分に北千住駅を出発し、午前8時2分ころ小伝場町駅に到着し、午前8時10分に築地駅に到着した」
 
ことになっている。もともと電車が遅れていたらしいが、そうだとしてもなぜ8時6分に非常ブザーが鳴ったと報道されたのか、よく分からない。
 中目黒発日比谷線は新聞報道では、
 
午前8時13分に霞が関駅に到着した時、先頭車両で異物が発見された」
 
となっている。ところが裁判では、
 
午前8時20分ころ、霞が関駅に到着した」
 
となっている。途中の神谷町駅でサリン中毒に倒れた乗客の移動に手間取り、そこで7分間停車していたらしい。この時間の食い違いは日比谷線だけに見られるものである。丸の内線や千代田線には見られない。単なる新聞報道の誤りかもしれないし、またそうではないと反論するだけの材料もないのだが、やはり気になってしまう。
 
 毒物検査の面でも日比谷線は他の電車と異なっている
 事件当日の午前9時ごろ、警視庁科学捜査研究所には、日比谷線小伝場町駅にあった不審物から流れた液体が「鑑定資料」として届けられた。科捜研第二化学科の安藤科長はそれをガスクロマトグラフィー・質量分析装置(GCMS)にかけた。約30分後に出た結果は「サリンらしい」というものだった。
 さらに約30分後の午前10時ごろ、霞が関駅で採取された液体の分析結果が出た。安藤科長はこの段階で毒ガスの正体は「サリン」であると断定している。発生から二時間足らずのスピード鑑定だった。
 松本サリン事件では、鑑定結果が発表されるまで、六日間を要している。地下鉄サリン事件では、なぜこんな短時間の内に結果をだせたのだろうか。それとも予め、何かのシナリオでも存在していたのだろうか。
 丸の内線、千代田線の車両にあった不審物も、事件当日に科捜研に運び込まれている。丸の内線と千代田線の二駅で回収された二袋は、穴を開けられず液体が中に丸々残っていた
 
「しかし、正式な鑑定嘱託の日付は3月24日。それまでの間、サリンはどこに保管されていたのかを示す証拠が出されていない。安藤科長も、『(庁舎の)屋上にある科捜研の施設に置いたんだと思います』と言うだけで、はっきりした記憶がないようだ。」

(週刊文春97年4月24日号、江川紹子「オウム裁判傍聴記」)

 
 この二つは、イオン化法核磁気共鳴法(NMR)によって分析されている。なぜ事件当日に鑑定しなかったのかなぜGCMSとは違う分析法が用いられたのか、3月24日に正式に鑑定されるまでの間、いったいどこにサリンを保管しておいたのか謎だらけである。
 
 もっと不思議なのが、日比谷線からはサリン以外の毒ガスが検出されている点である。
 
「日比谷線小伝場町駅に出動した自衛隊が現場の毒物を中和させる作業中、付近の有毒ガス検知で、マスタードガスとみられる『びらん性ガス』を検出した。警視庁科学捜査研究所で鑑定を急いでいる。
 小伝場町駅などから病院に運ばれた三人の患者は、サリンによる症状のほか、発疹や気管支炎などびらん性ガスの症状が出ているという。」

(共同通信、95.03.20)

 
 サリンは神経ガスであり、マスタードはびらん性ガスである。その作用も症状も異なる。マスタードガスだけではない。日比谷線から病院に運ばれた被害者から、シアン化合物も検出されているのだ。
 
「地下鉄サリン殺傷事件で二十日、東京都墨田区の白鬚橋病院で被害者の手当をした医師によると、被害者の血液と尿を調べたところ、コリンエステラーゼが通常値の五分の一まで低下していたほか、シアン化合物が検出された。毒物はサリンとシアン化合物の二つの毒が合わさった猛毒であった可能性が高いという。
 …このほか、シアン系の薬物が検出され、有機リン系のサリンとシアン化合物の両方による被害を想定して手当をしているという。」

(共同通信、95.03.20)

 
 シアンとは青酸のことである。そうすると毒ガスは、サリンと青酸の組合せか、コリンエステラーゼの低下を引き起こす神経ガス「タブン」ということになる。タブンは青酸ガスも放出するからである。
 ここまで述べれば、地下鉄サリン(?)事件が、「追い詰められたオウムが、強制捜査の矛先をかわすために地下鉄にサリンを撒いた」というような単純なものでは決してなかったことが分かるだろう。
 このように地下鉄サリン事件は問題点を残したまま裁判が進行する。それにしても問題は麻原公判である。もし本当に「無実」だったら、いったい誰がどう責任をとるのだろう。それともオウムの連中の言うように天罰でも下るのか。少なくとも私はこんな愚かな国民と共に心中するのは御免被りたい。

以上   



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